第4章 アウストラロピテクス――時間収支の危機をどう解決したか
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1978年に化石採集者のメアリー・リーキーがタンザニア北部のラエトリで発見した35メートルにわたる足跡の化石 約360万年前にさかのぼるその化石には、二人の大人と一人の子供の足跡が、定期的に噴火する近くのサディマン火山が撒き散らした軽い火山灰に残されていた
二人の大人は片方がもう一方の足跡をなぞって歩いたらしいが、子どものほうは大人たちの足跡を何度も横切っていた
これらの足跡は現生人類のものと全く変わらず、類人猿のものとはかなり違っていた のんびりと急ぐでもなく歩いていたようだ
ある地点で、彼らの行く手をアフリカの初期のウマが横切った メアリー・リーキーの発見から54年前の1924年、当時南アフリカに住んでいた解剖学者のレイモンド・ダートが、タウングという小村で石工が発見した化石を収めた箱を調べていた その後数十年で、サハラ砂漠以南のアフリカ大陸で発見された化石は急増し、人類進化の複雑きわまる祖先像を描いてみせた
しかし、アフリカ南部におけるこれらの発見がもたらした重要な結果は、人類進化のゆりかごを人類発祥の地と長く信じてきたアジアからアフリカに決定的に移したこと
最後の共通祖先からアウストラロピテクスへの移行は実際には数百万年かかっただろう
とはいえ、遅く見積もっても400万年前までには、アフリカには二足歩行という際立った特徴をもつ類人猿の系統がいて、アフリカ東部と南部に分布していたことがわかっている この系統は栄え、その後200万年にわたって、異なる種がときどき並存してもいる
アウストラロピテクスは比較的湿潤な森林や、他の類人猿も暮らす大熱帯森林地帯のはずれなどにおもに適応した
アウストラロピテクスとは何者か
アウストラロピテクスの適応放散は2つの異なる段階で起きた 頑丈型のアウストラロピテクスは著しく繁栄した側枝となり、華奢型アウストラロピテクスが姿を消してからも、おそらく140万年前まで存続した
これら2系統の相違点は、体の大きさより、むしろ頑丈型の顎の筋肉組織と臼歯(頬歯)、顎の筋肉を固定するために頭蓋骨の上に発達したゴリラのそれに似た突起にあった これらの相違点はおもに食性の違いによる
華奢型が広範囲の食物に適応できる生態学的なゼネラリスト出会ったのに対して、頑丈型は比較的堅い食物に適応したスペシャリストだった
アウストラロピテクス類全般に見られる最も際立った特徴は、他の大型類人猿とどのように異なっているかではなく、どのように異なっていないかにあった
いちばん大事な点は、彼らの脳がチンパンジーよりさほど大きくなかったことで、生息地の違いと大きな臼歯をのぞけば、彼らを特徴づける進化上の発達といえば二足歩行しかない もちろん、すべての大型類人猿も日本の後肢で歩くことができるし、ときおりそうすることもある 現生の大型類人猿と比較すると、アウストラロピテクスは、長い前肢と短い後肢をもつサルのような骨格構造から、長い脚と短い腕をもつヒトらしい体形へと明らかに変貌している 類人猿の体形は、森に生える大木の太い幹をよじ登るのに好都合にできている
アウストラロピテクスは地上を二足歩行するのでヒトに近い体形だが、後にホモ属を特徴づけることになる非常に長い後肢はまだない
それでも、まちがいなく日本の下肢で歩くように進化しつつあり、二足歩行と関連付けられる特徴の多くを備える
たとえば、ヒトに似たボウルのような骨盤は、歩行中に大腸や小腸などを支えるもので、大型類人猿のサルらしい細い骨盤と大きく異る 大腿骨は腰のところで曲がっていて、アウストラロピテクスはこのおかげでX脚の姿勢でバランスよく二足歩行できる
胸部ものちのヒトに見られる筒型に似た形をしているが、下のほうはまだ大型類人猿に特徴的な広がりを見せる
最も重要だと思われるのが大後頭孔がある場所で、アウストラロピテクスではこの孔が頭蓋骨の底部にあり、頭が直立した脊椎の上に載る 四足歩行するすべてのサルや類人猿では、大後頭孔は頭蓋骨の後ろ側にあり、四肢を使って歩くときには頭が上を向く もちろん、アウストラロピテクスが普段から二足歩行していたという一番説得力のある証拠はラエトリで発見された足跡の化石
彼らはまだどの種もかなり木登りが上手だったのは明らかだが、足はすでにヒトのように変化しはじめていて、親指が他の指と同じ方向を向いている
サルや類人猿では親指が外側に向き、木の枝などを掴むのに適している
頑丈型のアウストラロピテクスは現生人類につながったわけではなく、独立した側枝を形成したので、ここでは初期の華奢型の系統について述べることにする 華奢型のアウストラロピテクスが繁栄をきわめたのに対し、森に残った類人猿のいとことたちは気候条件が彼らに適さなくなり、アフリカの大森林地帯が縮小するにしたがって絶滅の道をたどった チンパンジーやヒヒと比べる
時間収支モデルを使うには、アウストラロピテクスが生き延びた場所、生き延びられなかった場所を知る必要がある
これらの場所それぞれの気候を調べ、得られた数値を時間収支モデルに入れると、各場所に対応する集団規模が予測できる
アウストラロピテクスが生き延びた場所、生き延びられなかった場所をモデルが正確に予測できたなら、これらの化石種がモデルのベースとなった原生種と同じ栄養生理学・運動学的制限条件下にあったと結論づけることができる
もちろん、モデルが正しく予測できることは重要だし励みになるが、科学の世界でより興味深いのはいつでもモデルの予測がまちがっている(あるいは、少なくとも完全には正しいとは言えない)場合だ
こうした事が起きると、モデルの予測を実際の結果と一致させるために、どの方程式に調整が必要か、どれほどの調整が必要かを検討できる
ここまでくれば、次の非常に重要な段階に移ることができる
アウストラロピテクスが実際に占有した生理学的・解剖学的空間を調べることによって、侵入しようとする新しい生息地に対処するために、いかなる新たな適応をしたのかを探ることができる
特定の時間収支モデル(たとえばチンパンジー・モデル)を使用する目的は、化石ホミニンがチンパンジーだったと主張することではなく、ある化石種をめぐる生理学的前提の下、その種が取った行動に関わる諸々の仮説を検証することにある
私達の仮説を一種の「精密工具」として用いることによって、自然界の混沌とした表層を剥ぎ取り、深層で何が起きているかを知ることができる
モデルの予測が精密になるにつれて、この過程がうまくいくようになる
科学哲学者はこれを「強力な推論」と呼ぶことがあるが、それはこの過程によって得られる結果がより確実だからだ これはおもに、各仮設について観察する定量的な(定性的なものだけでなく)適合度を求めねばならないので、単なる推測に基づいた手法より高い精度が要求されるため
社会脳の立場
図3-3(頭蓋骨容量からみた主なホミニン種の共同体規模の中央値)を見ると、アウストラロピテクスの集団規模は現生チンパンジーより大きくはなかったので、社会的なつながりにチンパンジーより長い時間をつぎこむ必要はなかった
したがって、彼らが時間収支に関してチンパンジーと唯一異なる点は、食物探しと休息にあてる時間だと思われる
これで、この最初の移行期の解明がたやすくなる
時間収支モデルに関して最初に問うべきは、アウストラロピテクスがいずれも初期ホミニンのモデルとして提案されている生態学的類人猿または生態学的ヒヒのどちらであるかだ
訳注: 1995年にピーター・アンドリュースが、初期ホミニンは系統発生的にはホミニンであったにしても、生態学的には類人猿だと述べてたことを踏まえている 大型類人猿とヒヒは、時間収支についてかなり異なる制限条件(大型類人猿は主として移動コストによって、ヒヒは主として摂食時間によって制限されている)をもつので比較は容易い その理由として、この2つの分類群間の生理学的差異がある
このため類人猿は熟した果実がある土地を求めて移動し続けねばならない
しかし、食物を探す集団の規模が大きくなって生息地の質が落ちると、類人猿の移動時間は爆発的に増える
これに対して、ヒヒはさほど移動する必要に迫られない
熟していない果実を食べられる能力があるので、果実がある土地に長くとどまれるから
また、類人猿と比べると、ヒヒの骨格構造は移動の妨げになりにくい
ヒヒは比較的長い四肢をもつので、地上を速く移動できる
これらの二属が示すきわめて異なった分布は、主にこうした相違点によって説明できる
とりわけ、アフリカの類人猿が、赤道に沿って南北にきわめて狭い幅で延びる帯状の地域に閉じ込められているのはそのせいだ
この地域では、熱帯林とそこで実る柔らかな果実がある
食性記録から化石産地の気候を推測することはできるものの、これでは時間収支モデルに必要な気候指標の正確な数値は得られない
高い精度で気候を知る従来の方法は、化石哺乳類の発見地と同じ大陸内で現在同じ分布を持つ現生種の生息地を探し出し、そこの気候データを使うというもの
個々の動物種は特定の食性、すなわち特定の気候レジームと関連していて、この関連性は地質学的時間から見ても変化することはあまりありそうにない
ウシ科の動物(レイヨウ)がこの目的に最適なデータを提供してくれることが多い レイヨウは種類が多く、それぞれに生息地にかんする非常に異なった条件をもつので、多くの現生種が化石産地で見つかる
ベトリッジはアウストラロピテクスの化石が見つかった土地と、化石が見つかっていない対照地(ヒヒなど他の哺乳類が見つかった土地を選んだが、それはその生息地が哺乳類にまったく適していない可能性を排除したかったからだ)すべての気候データを得た
こうして得られた数値をチンパンジー・モデルに入れると、アウストラロピテクスが普通のチンパンジーであったなら、アフリカ南部の化石産地すべてについて予測される共同体の規模はあまりに小さくなる(典型的には10頭未満)ことがわかった
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図4-2 チンパンジー時間収支モデルによる予測 アウストラロピテクス初期個体群と後期個体群の最大共同体規模の中央値(50-90%範囲) (Bettridge, 2010) つまり、アウストラロピテクスは、おおいに栄えたことが知られる生息地では存続できなかったことになる
気候がかなり寒冷化してストレスにさらされた250万年前以降、どの土地でもできる限り大きな共同体を維持するような圧力がかかったことだろう
それでもその規模の多くは約15頭未満で、現生チンパンジー(最小規模は約40頭)が存続するために必要とする規模を大きく下回る
これらの土地の時間収支を見ると、アウストラロピテクスが好むやや乾燥した土地の移動時間コストが問題だったとわかる
結論から言えば、彼らがどのような種であったかは別にして、生態学的チンパンジーでなかったことだけは確か
一方、アウストラロピテクスの大きな体に調整したヒヒモデルを使うと、アウストラロピテクスは生存した証拠がまったくない、サハラ砂漠以南のアフリカ大陸全域に分布していたことになる
したがって、アウストラロピテクスは生態学的ヒヒでもなかった
類人猿モデルは、たいていのアウストラロピテクスの個体群について共同体の規模ゼロという予測をするが、実際にアウストラロピテクスが生息した土地での予測時間収支は平衡点からさほど離れていない
4つの主要な活動カテゴリーに対する予測平均値
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図4-3 アウストラロピテクスの時間収支配分。アウストラロピテクスが生存したと正確に予測された場所について、ベトリッジ・モデル(2010)によって計算した。
これらを足すと107%になり、この7%の超過分こそが、彼らの脳の大きさが示す集団の規模を維持するのに必要となる社会的毛づくろい時間の不足分 他の活動カテゴリーから7ポイント回すのはけっしてたやすいことではないが、この程度の釣果なら共同体の規模に影響を与えずに調整可能だろう
彼らがそうしたのは明らかだが、それは彼らがこれらの土地に実際に暮らしたことを私達は知っているからだ
アウストラロピテクスは時間収支の危機をどのようにして克服したのか
二足歩行の利点、無毛の問題
一つの可能性は、二足歩行に何らかの利点があったこと このいたって新規な適応がごく初期に起きたことは明らかで、さまざまな意味でアウストラロピテクスが何者であるかを定義する 類人猿より長い下肢を持っていたことから、初期ホミニンは歩幅を増やし、一定の距離を類人猿より速く移動できた これはおもにチンパンジーが膝を曲げて歩くため
ホモ人では骨盤が現在私達がもつボウル型に変わったことにより、後肢を邪魔する物がなくなり、脚を真っすぐ伸ばして歩くことができるようになった
また現生人類は、二足歩行時にチンパンジーに対して75%もエネルギー消費量を減らせる
腰と脚が多数の解剖学的適応を経て弾性推進力が得られたため
たとえば、ヒトのアーチ型をした足の骨どうしをつなぐ軟骨はバネとしてはたらき、エネルギーをたくわえて一歩ごとに余分な推進力を発生する
アウストラロピテクスは現生人類ほど二足歩行に長けていなかったので、彼らが享受した利点は歩幅の増加のみだったと考えるのが妥当
あるいは、少なくともこの利点がきっかけとなり、のちに腰と足に適応が起きたのかもしれない
ロバート・フォーリーとサラ・エルトンは、樹上と地上における「二足歩行」対「四足歩行」のエネルギーコストをモデル化し、約65%の時間が地上の移動に費やされた場合には、二足歩行が四足歩行に勝ると結論づけた したがって、地上で過ごす時間がより長い生活スタイルへの転換が二足歩行へのきっかけになったと考えられる
チンパンジーのメスは下肢が44センチメートルだったのに対して、アウストラロピテクスのメスは約52センチメートルあったと推測されている
この増加幅はホモ・エルガステルのメスには追いつかないとはいえ、それでもアウストラロピテクスが実際に暮らしたと判明している土地について、チンパンジーモデルは移動時間が16.4%から14%に減少すると予測している これはおよそ2.5ポイントの節約、または超過分の約3分の1の節約になる
移動時間が減ると、移動エネルギーをまかなうたべに食べる時間が減るので全体としておよそ3ポイント節約できる
この節約分は、アウストラロピテクスが好む開けた土地の移動で吸収されることはないと仮定する。アウストラロピテクスが、のちに出現するホモ属ほど遊動したという証拠はない。
この増加分を額面通りに受け取れば、それで二足歩行が始まって維持されるのに十分だったかもしれないが、それでもアウストラロピテクスが最も温和な気候の生息地に住むには、まだ4ポイント時間が足りない
また、分布域の辺縁で暮らすにはいま少し余裕がいる
二足歩行のもう一つ別の利点は冷却効果
やや開けた土地では、四足歩行する動物の体は二足歩行する動物に比べてより多くの太陽熱を吸収する
だから、四足歩行動物の体は二足歩行動物より早く過熱する
脳は温度体制の幅がきわめて狭い
脳の温度が一度を超えて上昇すると熱射病になり、比較的すぐに神経細胞が死滅しはじめる 真昼時に体が吸収する太陽の放射熱を最小限に保つことで、二足歩行する動物は日差しが一番熱く感じられる時間帯でもより長く活動していられる
ここで大事になるのは休息時間で、哺乳動物はみな気温が上がりすぎると木陰などで休む必要がある したがって、真昼近くに少し長く活動できることから休息時間が4ポイント減少すれば、時間収支の残りの超過分を相殺して余りある
現生人類は、他の霊長類には見られない、この熱負荷問題に直接関連していると思われる2つの特徴をもつ まず、体表面から被毛がなくなったことと、発汗作用が大幅に強化されたこと 唯一開けた土地に暮らすもう一種のヒヒを除けば、私達にはすべての霊長類の何倍ものエクリン腺が皮膚にある ピーター・ウィーラーの生理学的モデルによれば、直射日光にさらされる面積が減り、汗をかいて体が冷やされることで、二足歩行する無毛のホミニンは、四足歩行動物より長く活動できるようになり、一リットルあたりの移動距離が二倍になる ここで重要なのは、体毛から汗が蒸発しても毛先が冷えるだけでその下の皮膚は冷えない点にある
汗の蒸発による冷却効果を得るには、動物は無毛でなければならない
最近、ウィーラーの熱負荷モデルにある反論が合った
体内にこの付加的な熱源があることによって二足歩行の利点は減じられ、残る利点はおもに体毛の喪失と発汗になるという
仮に体毛があれば、アウストラロピテクスは開けた土地では生きていけず、それは総熱負荷が発散熱を超えているからだった
無毛であっても、真昼の活動時の過熱を防ぐほど早く放熱することはできないという
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図4-4 熱負荷のラクストン-ウィルキンソン・モデル
●は無毛二足歩行種に対する推定値を示し、1日の大半を通してアウストラロピテクスは放熱量(破線)を超える熱を発生・吸収することになる
○は実際にアウストラロピテクスが暮らした場所の低気温が熱負荷に与えた影響を示す
朝や夕方にはかなり長い間活動できたことになる
ベトリッジ・モデルによれば、アウストラロピテクスは毎日3.8時間を休息にあてたと推定される
開けた平野で暮らすあらゆるサルや類人猿のように、アウストラロピテクスは気温が最も高い真昼頃に休息しただろう
ラクストン-ウィルキンソン・モデルによると、熱負荷は午前7時半から午後6時位までは放熱量を超えてしまう
このことから、二足歩行が放熱のためだけに進化したとは言えなくなる
しかし、二足歩行が他の理由で進化したのだとしても、無毛はそれでもなお冷却作用を得るために発達した可能性はある
ラクストンとウィルキンソンは二足歩行が進化した理由について述べていないが、彼らの私的は真剣に考慮すべきだ
二足歩行の利点について広く受け入れられている説明を覆すかもしれないから
じつは、このモデルの最初のウィーラー版にもラクストン-ウィルキンソン版にも、だれも気に留めなかった、ある非現実的な前提がある
地上の最高気温を40℃に設定している
この気温は海水準付近ならまちがいなく適切だが、アウストラロピテクスが実際に暮らした生息地では高すぎる
彼らの生息地はたいてい海抜1000メートルを超え、これほどの標高では最高気温は相当低い
気温が低ければ熱負荷はかなりヘリ、真昼の時間帯にはことにそうだ
ウィーラーモデルもラクストン-ウィルキンソンモデルも、一日の平均気温を32.5℃としている
だが、年平均気温は、アフリカ東部に35ヶ所あるアウストラロピテクスの化石産地で25℃、アフリカ南部の5ヶ所では20.4℃にすぎない
平均気温は高度が100メートル上がるごとに1℃下がり、熱帯から緯度が1度離れるごとに同程度下がる
これほど低い気温では真昼の熱負荷は約200W減り、これはアウストラロピテクスが毎日さらに二時間半活動できたことを意味する
つまり、彼らは早朝と夕方に合わせて毎日4時間活動しても、熱負荷の閾値を超えることはなかった
まず、最近注目を浴びている別の考え方について検討してみよう
二足歩行によって初期ホミニンが食物を手で運び、捕食者に襲われる危険の少ない場所で食べるようになったという見解
近年、チンパンジーやゴリラが今後北部の沼などを歩いて当たる姿が観察され、二足歩行が湖や浅い海を食物を探して歩いたことに由来するのではないかという見方が再び注目を浴びた しかし、ときたま二足歩行するのがこの点で利点であるのは明らかだが、習慣的に二足歩行するのがなぜ有利なのかは明確ではない
本当に必要なとき(多くは作物などを盗むとき)には、チンパンジーはときどき日本の後肢で歩きながら食物を手で上手に運ぶ
しかし食物をつねに手で運び、二足歩行を習慣にするのが彼らにとって有利だと想像することは難しい
むしろ、手でものを運ぶという行為は二足歩行の結果であって、それが進化した原因ではないようだ
さらに重要なことに手でものを運ぶことが初期ホミニンの時間収支の危機回避になぜ有利なのかまったく不明だ
摂食時間にも移動時間にもまったく影響がない
二足歩行の主な利点が皮膚から汗が蒸発することによる冷却作用だとするなら、問題はアウストラロピテクスが無毛だったか否かになる
ウィーラーは無毛だったと考えているが、他の人々は無毛は180万年前のホモ属の出現以降に起きたと主張している
だが、二足歩行はそれよりかなり前に進化したことがわかっている
後者の見解が正しいか否かは別にして、アウストラロピテクスにはほかにも解決すべき時間収支の問題があった
無毛になったことは移動時間そのものより、移動距離とタイミングにおもに影響すると思われるからだ
重要な問題は、発汗のおかげで二倍の距離を移動できたとして、アウストラロピテクスが移動時間を二倍に増やせたか否かにある
時間収支から見ると答えはノー
食性を変えるという解決策
現生チンパンジーは、食物を探す集団(共同体ではなく)の規模を減らして、この時間収支問題を解決する
これによって移動時間のコストがかなり減り、摂食と社交により多くの時間をつぎこめる
しかし、チンパンジーの食物探しの集団の大きさはすでに3~5頭以下に減っていて、もはやアウストラロピテクスが暮らす疎開林での分布の下限近くにあった
しかし、これ以上節約できる時間は殆ど残されていない
この集団の規模を最低限の一頭まで減らしても、節約できる移動時間はきわめて少ない
いずれにしても、アフリカのサバンナでは捕食者の脅威が大きい
オランウータンは1頭でも食物を探せるが、それは彼らが現在住む土地に捕食者が少なく、いざというときに逃げられる樹木がたくさんあるからだ チンパンジーは一頭で食物を探すのを好まないようだが、それは彼らの生息地にはまだ恐ろしい捕食者がいるからだ
アウストラロピテクスにはより恐ろしい捕食者がもっといただろうし、逃げ込む樹木は少なかった
したがって、移動時間の短縮が十分見込めても、彼らがオランウータンと同じ戦略に頼ったとは考えづらい
別の可能性は、アウストラロピテクスがより効率のよい食性に転換して摂食時間を減らす方法を見つけたこと
たとえば、消化の速い食物、栄養価の高い食物、あまり移動が必要にならない実り豊かな土地などに切り替えたのかもしれない
化石種がなにを食べていたのかについては、歯の大きさと形、そして食物を噛むと歯に残る傷跡や摩耗痕から多くを知ることができる
アウストラロピテクスは大きな歯をもつことから、彼らはよく噛む必要のある粗く堅いものを食べていたようだ
高倍率の電子顕微鏡で観察すると、彼らの歯に残された傷からはかなり摩耗性の高いものを食べたことがわかる
たとえば、もろくて堅い食料(堅いナッツ類など)や地面から集めた際についてきた土砂などを食べた結果だろう 土砂が口に入ったとするなら、土中から掘り出した根菜類(根、塊茎、根茎)を食べていたかもしれない 食物に含まれる炭素原子は身体を作り上げるので、化石種の骨に含まれる炭素同位体の量を測定すればその種の食性がわかる 後期アウストラロピテクスの歯に含有される炭素の安定同位体を分析すると、彼らは旧世界ザルや類人猿よりC4植物を多く食べていた つまり、彼らは完全なC4食性をもつというより、C4植物も食べていた
さらに、彼らのC4食性は時とともに大きく変化し、季節によって異なるC4植物を食べたか、ときたま食べていたようだ
ということは、アファレンシスがC4植物を食べたのは、新しい食性傾向のようだ
後期の頑丈型のアウストラロピテクスではこの傾向は極端になり、とりわけアフリカ東部のパラントロプス・ボイセイは強いC4食性を示す 動物が強力なC4特性を示す場合には2つの可能性がある
C4植物を食べたか、C4植物を食べた動物を食べたか
少なくとも後期アウストラロピテクスの時代の動物の骨には切断痕がみられ、それはアウストラロピテクスが肉を入手して食べたことを示すと解釈されてきた
しかし、哺乳動物の生肉は類人猿にとって消化がたやすいわけではなく、少なくともヒトでは肉を食べすぎるとタンパク質中毒が起こる もちろん、火を通した肉なら話は別で、加熱した肉は約50%消化しやすくなる
だが、これほど初期に火を支配したことはまずありえないので、アウストラロピテクスのいずれかの種がチンパンジーよりかなり多くの肉を食べていたことはありそうにない
とはいえ、骨を砕いた可能性もないではない
あるいは頭蓋骨なら脳が食べられるのでさらに好都合だ
どちらも、生肉より遥かに消化しやすい
たいていの大型捕食者は肉を食らったあとの骨には興味がないため、残り物をあさる清掃動物にはより安全な食物になる 約250万年前以降、原始的な石器が発見されるようになる
この石器は、最初の発見地であるアフリカ東部のオルドヴァイ渓谷にちなんでオルドワン石器と呼ばれる これらの石器は基本的にあまり鋭くないエッジをもつ叩き石で、使用目的はわかっていない
けれども、その形と重さは骨を砕いて骨髄を取り出すのに最高の道具になると思われる
実際、エチオピアのディキカで見つかった340万年前にさかのぼる有蹄類の骨には叩いた形跡があり、これは骨髄を取り出そうとしたものと解釈された ナッツを実らせる樹木はアフリカ東部のより開けたサバンナや疎開林では育たないが、こうした道具を使ってナッツではなく骨や頭蓋骨を割るようになるのはごく簡単だっただろう
このころアウストラロピテクスが暮らし始めた辺境の地では、このような変化は彼らの生存に少なからぬ影響を与えたと思われる
アフリカの気候が休息に寒冷化し乾燥化した200万年前に先駆けて、乾燥化が始まったころにはことにそうだったはずだ
アウストラロピテクスが摂食時間を十分減らすには、骨髄と脳で足りただろうか
そうだったかもしれない
けれども、真の問題は、骨髄を取り出した証拠の道具があったとして、たとえそれが340万年前だとしても後期の移行としか考えられない点にある
それは初期アウストラロピテクスの時間収支危機を解決してはくれない
シロアリは草を食べる昆虫で、大きな巣に群れをなすので格好の栄養源となる
だが泥でできた巣はコンクリート並みに堅く、削岩機でもなければ壊れない
チンパンジーは入手できればシロアリを食べるし、食べるのを好んでもいる
草の茎を巣の入り口に差し入れ、侵入者を追い出そうと茎にしがみついたシロアリを食べる
贔屓目に見ても時間のかかる作業で、時間短縮につながるとはとても思えない
チンパンジーと同じように、アウストラロピテクスもシロアリが例年新しい巣に移るときには食べたはずだ
しかし、彼らの技術はチンパンジー並みで、食性が変わるほど多数のシロアリを捕まえられたとは私は思っていない
4つ目の見方は、アウストラロピテクスがC4経路をもつ草本植物の貯蔵期間(根や塊茎)を食べ始めたというもの
もちろん、これを証明する直接的な証拠はない
食用植物は化石として残らない
とはいえ、こうした地下部を持つ植物の多くがC4植物で、アウストラロピテクスの化石がよく発見される湖付近に生育するということは、少なくともこの見方が正しい可能性を秘めている
しかも、すでに見てきたように、歯がやや摩耗性の高い食性を示すという証拠を考えるとこの説の信憑性は増す
要するに、そうであったかもしれないという選択肢はいくつもある
重要な問いは、アウストラロピテクスが取った選択肢を示す証拠が時間収支から得られるか否かにある
水辺の生息地と洞窟
アウストラロピテクスが暮らしたことが知られている場所で存続した理由を探ろうと、キャロライン・ベトリッジは、まずチンパンジー・モデルの摂食、休息、移動時間にかかわる方程式の感度分析に取りかかった 感度分析は、ある要因の値が変動した場合に結果にどれくらい影響したかを把握する方法
各式の傾きを段階的に変えて、アウストラロピテクスが存続した場所と、存続しなかった場所を正確に予測するモデルの能力に与える影響を調べた
摂食と休息の方程式を変えてもほとんど変化は見られなかったが、移動時間方程式の傾きを変えると劇的な変化が起きた
アウストラロピテクスに関する不正確な予測が、生息地数の30%からわずか8%へと激減した
このことから、すべての大型類人猿と同様に、アウストラロピテクスの場合も問題は移動時間にあったことがわかる
確認のため、ベトリッジはヒヒの移動時間方程式をチンパンジー・モデルに入れ、ヒヒの資源分布が与える影響を調べた
ヒヒの移動時間方程式をアウストラロピテクスの大きな体質量に調整して使うと、10頭という最小の共同体規模で、アウストラロピテクスの生息を予測するチンパンジー・モデルの能力が、26%からきわめて良好な76%にに跳ね上がった
一番重要だったのは、アウストラロピテクスが生息したと実際にわかっているあらゆる土地について、彼らが生息できると正確に予測したこと
これはチンパンジー・モデルにはできない芸当だ
アウストラロピテクスが実際にどのような行動をしたのかはわかっていないものの、類人猿というよりヒヒに近い食物探しをしてたようだ
モデルにとって本当に大事な要素は降雨の影響らしく、これがアウストラロピテクスの行動を読み解く手がかりになるかもしれない
彼らがC4食性を持っていたこと、それが植物の根や根茎を食べていたためだったかもしれないことを思い出してほしい
彼らの化石はとりわけ湖や川のほとりと関連づけられていて、こうした場所であれば本来なら乾燥しすぎてヒヒには生きられない開けたサバンナでも生きていける
ちなみに、時間収支モデルに関する限り、大河や湖の近くで生活する効果はそのまま降雨の増加に匹敵する
いずれの場合も、土壌は植物の成長に必要な水分を豊富に含む
その結果、森林が生育できないほど乾燥したサバンナに、水路に沿って帯状の恒久林が形成される
こうした生息地はよく氾濫原(大きな川の両側や湖の周りにある平野部分で、雨期には浸水する)とも関連づけられ、雨期になるまで栄養分を根などにたくわえておく多肉植物その他の植物に最適な豊かな微生育地(マイクロハビタット)になる 食性を地中の貯蔵器官に変えたことで、アウストラロピテクスは消化器官をさほど変えることなくこうした生息地で暮らすことができるようになった
これはまさにヒヒがこの種の生息地で見せる摂食行動そのものだ
同時に、この変化によって遠くに移動する必要が大きく減ったが、それはこれらの土地が豊穣で多数の動物を養えるからだった
こうしてアウストラロピテクスの共同体は、離合集散社会ではなく単一の群れで食物を探すことで、樹木の少ない場所で捕食されるリスクに対処することができる やや似通った反応は、コンゴ西部の「バイ」と呼ばれる生息地のゴリラに見られる バイとはこの地域内の湿地の多い森林地帯にある空き地で、散財する水たまりにはゴリラの集団がいくつか集まってきて豊かな食料源を共有する
ゴリラはアウストラロピテクスとは非常に異なる生息地を占有するが、生息地がこれらの種に与える生態学的効果は似ている
資源のある土地が十分豊かで大きく、多数の動物が互いに争うことなく長期にわたって食物がある場合には、ふつうなら別々に食物を探す集団が一緒に行う
ゲラダヒヒは草食性で、豊かな草原にきわめて大きな集団(500頭まで集まることがある)を形成し、乾季でも同規模の集団で植物の根や根茎を掘り出して食べる
ゲラダヒヒは霊長類でも特異な例で、一風変わった生息地でクラスが、彼らの行動も基本的にはゴリラやアウストラロピテクスと似ている
最後に一点だけ考えておかねばならないことがある
湖や大河に沿って延びる拠水林や疎開林は木陰をつくってくれるが、その周りの疎開林や氾濫原はその限りではない
日中の数時間はなにかの陰で休むヒヒなど、開けた平野に住む種のように、アウストラロピテクスも日中の気温が高い時間帯には休息せざるを得ない
チンパンジー・モデルの予測によると、アウストラロピテクスは平均で日中のちょうど3分の1ほど(約3.8時間)を休息し、実際に暮らした生息地内の移動に費やす時間はきわめて短時間(約1.9時間)に限られている
初期ホミニンは早朝と夕方のみ移動したというラクストン-ウィルキンソン・モデルの予測が正しいなら、アウストラロピテクスは2時間の移動時間をモデルが予測する早朝と夕方にあてても、日中にたっぷり四時間昼寝する自由時間が残る
つまり、初期ホミニンは新しい食料源のある土地を探すための移動をほぼ早朝のうちに済ませられる
食料のある場所を発見したら、日中はそこでずっと過ごし、夕方近くになってから近くの拠水林に安全な寝場所を確保すればいい
ヒヒはちょうどそんな種類の生息地で、まさにこうした行動パターンで日々を過ごしている
食性を大きく変えることで彼らの問題が解決したようには見えないものの、チンパンジーのように肉食がいくらか貢献しているかもしれない
しかし、水辺にある生息地という特異性が違いを生んだことも考えられ、新たに地中の植物を食べるようになったのであればなおさらだ
二足歩行は温度調節コストを減らす意味で決定的だったようだが、より重要なのはおそらくより速く、より効率良く動けるようになったこと
このことを示すように思われるのが、アウストラロピテクスの共同体がまばらに分散した集団であり、多くは狭い帯状の拠水林に沿って相互にかなり離れている点にある
アフリカ南部にあるアウストラロピテクスの化石産地は、たいてい峡谷沿いの石灰質の洞窟
化石の少なくとも一部は、ヒョウや猛禽類の犠牲になったことが確認されているが(骨が樹上の巣から下の穴に落ちた)、アウストラロピテクスにとって洞窟は夜を過ごすのにおあつらえ向きの場所だっただろう 洞窟には、これらの生息地で夜間の逃げ場となる重要な2つの特徴がある
猛禽類の巣が多い大きな木があまりないため捕食者が少ないこと
この地域の南緯では夜暗は気温がとても低いが、洞窟内はかなり暖かいこと
赤道上でさえ、海抜1000メートルを超える耕地では、夜間の気温は10℃と低い
私がスコットランドで野生のヤギを研究した時、ヤギが夜を過ごす洞窟内の最低気温は外気温より3~5℃高かった
アフリカ南部の洞窟に暮らすヒヒの研究でも、洞窟内の気温は外気温より約4℃高かった
外気温が体温より低い時、動物は体温を保つのにエネルギーを消費するため、余分な摂食時間を必要とする
気温が低ければ低いほど、問題は深刻化する
スコットランド北西部で調査したヤギの場合のように、アフリカ南部の初期ホミニンの生存にとって洞窟はかけがえのないものだったのかもしれない
類人猿(ヒヒ以外)の時間収支モデルは赤道直下の生息地にもとづいており、アフリカ南部など寒冷な気候に対する補正はなされていない
洞窟での暮らしだけでアフリカ南部での高い温度調節コストを相殺できたか、あるいは接触時間の節約につながったかはわからないものの、アウストラロピテクスがアフリカ南部に定着するのに洞窟が重要な役割を果たしたのはまず間違いない
アウストラロピテクスの社会生活
アウストラロピテクスは現生チンパンジーと同等の規模をもつ共同体に暮らしていた(社会脳仮説)けれども、チンパンジーほど極端な離合集散社会体制は必要としなかったかもしれないことを見てきた 集団の規模は陸生の捕食者によっていくらか減じられただろうが、大きな社会集団はそれだけで開けた窪地や氾濫原において捕食者に対する主な防御になったはずだ
アウストラロピテクスはどのような社会体制を構築していたのだろうか
主な根拠は、大きな脳を持つ晩成の子を育てるには両親による養育が欠かせないというものだった
当初、ラヴジョイは単婚があらゆるホモ属の特徴で、約200万年前以降のホミニンでも普遍的だったと主張した
この主張に説得力があるのは、タイミングがホミニンの脳の大きさが最初に大きく増加した時期、つまり二親の世話が必要になる自然な時期と重なっていたから
ところが、ラヴジョイは後に、この主張を既に知られていた最古のアウストラロピテクス(約400~500万年前までさかのぼるアルディピテクス・ラミダス)まで拡大した この見方では、二足歩行と同じように、単婚はホミニンすべてに共通する普遍的な形質となる
当然、ラエトリの足跡をこの主張の証拠と考えたくなる
しかし、この解釈は疑ってかかる必要がある
発掘遺跡の面積が非常に狭く、近くに何頭の個体がいたかわかっていない
足跡をつけた三頭は残りの集団からさほど離れていないのかもしれない
似たような生息地に住むヒヒは、互いに0.5キロメートルほども離れることがままある
だが、疑いを差し挟むもっと重大な理由が2つある
チンパンジーはメスが発情期になると一時的なつがいとなり1, 2日間は他の個体に邪魔されないように共同体から距離を置く
しかし、たまたま一組のつがいが観察されたからといって、確実に乱交種として知られるチンパンジーを単婚だと主張する人は一人もいないだろう
この最初の移行期を通じて脳の大きさが増加していないなら、なぜアウストラロピテクスが両親の養育を必要とすると考えるのか
チンパンジーが両親の養育がなくてもちゃんと育つなら、同等の大きさの脳を持つアウストラロピテクスがなぜ突如として問題に直面すると言うのだろうか
したがって、アウストラロピテクスが本当に単婚だったとすると、チンパンジーより深刻な子殺しのリスクに見舞われたために、メスが用心棒戦略を選択したことになる
ハーコート-グリーンバーグの子殺しモデルによれば、子殺しのリスクはチンパンジーではメスが用心棒を必要とするほど高くはない
だが、ゴリラのパラメータ値を用いると、子殺しのリスクは高くなる
雄の体が雌よりかなり大きい場合には、メスは用心棒戦略を取る
脳の大きさによって、共同体の規模(集団内の雄の数)と繁殖の特徴(繁殖サイクルの長さなど)双方が定まるので、アウストラロピテクスとチンパンジーにとって、これらの重要な特性について選択の余地はほとんどなかったはずだ
また単婚体制の下では、多数のつがいがそれぞれの縄張りを分散して設ける
すると集団の規模が減少するはずだが、アウストラロピテクスの脳の大きさからはそうした証拠はうかがえない
また、霊長類では単婚種は例外なく多婚種より脳が大きい
ここで解剖学が助け舟を出してくれる
アウストラロピテクスの社会生活に関する、三項目にわたる間接的な情報
体の大きさの性差にかかわる証拠が豊富にある
歯に付着した微量の金属から分散パターンがうかがえる
浮気性の霊長類では、雄同士が雌をかけて争うので、雌雄ともに単婚種よりテストステロン濃度が高い
したがって、複婚種では雄の2D:4D比が小さく(人差し指が短い)、単婚種ではこの比率が1に近い
現生類人猿ではテナガザル(いわゆる小型類人猿)のみが強制的単婚で、数十種いるすべてのテナガザルはいずれも一雌一雄でそれぞれの子を協力して養う https://gyazo.com/969fdbc4a11872a2c61dbf7da535552c
●は平均値、棒はデータ範囲
単婚と複婚の領域は、それぞれテナガザル(唯一の強制的単婚種)の範囲と、サルと現生大型類人猿の範囲によって定義した 現生人類では複婚が一番多く、単婚は社会的に強制された場合のみ見られる
単婚が霊長類において認知状・人口統計上の落とし穴であるという発見にもとづけば(第2章 なにが霊長類の社会の絆を支えたか)、アウストラロピテクス・アフリカヌスがほんとうに単婚だったなら、おそらく現生人類の祖先ではなかったとしか思えない 彼ら以降のホミニンは一つ残らず複婚らしい
解剖学はこれについて2つ目の手がかりを与えてくれる
霊長類では、身体の大きさの性差が配偶体制と高い相関がある
すなわち、単婚の霊長類では雌雄はかならず体の大きさが同じである一方で、乱婚または複婚の霊長類では雄は雌より体がかなり大きい(大型類人猿では最大二倍)
テナガザルは雌雄の身体の大きさが同じで、ときには雌が雄より5%ほど大きい種もある
アウストラロピテクスを初めとするホミニンでは、雌雄で身体の大きさが同じ種は一つもないので、強制的単婚種があるとは思えない
雄と雌の体重比が1.56(アファレンシス)と、1.35(アフリカヌス)のアウストラロピテクスがいるので、アウストラロピテクスはチンパンジー(平均で1.27)より性差が大きいが、ヒヒ(1.8)やゴリラとオランウータン(約2.0)ほどでもない アフリカヌスは明らかに現生人類(体の大きさの性差は約1.2)よりではあるが、私達よりまだ性差が大きく、ほんとうに単婚であったとは考えにくい
最後の重要な行動特性は、両性の分散パターン
複婚の配偶体制では、雌雄のどちらかが縄張りに残り、他方は繁殖期に近隣の共同体に移ることが多い
単婚種では、子は雌雄どちらも縄張りから移動するのが普通だが、それは両親とも自分と同性の子が成長後に縄張りに残るのを好まないから
酸素や炭素と同じく、ストロンチウムには二種の安定同位体があり、これらの組成比が個々の場所の土壌によって変動する これらの同位体はその場所での含有量に比例して植物に吸収され、さらにその植物を食べる動物の歯のエナメル質に蓄積される そこで化石の歯に含まれるストロンチウム同位体の組成比を分析すれば、その動物が生態になってからも生まれた土地に住んだか否かを知ることができる ステールクフォンテン遺跡群で見つかったアウストラロピテクス二種のどちらでも、ストロンチウム特性はメスのほうがオスより移動したこと、しかも少なくとも3~5km移動したことを示していた
同じストロンチム特性をもつ最も近い場所への距離から考えて
この分散パターン(雄が生まれた場所に留まって、雌が分散する)は、チンパンジーあるいは、ことによるとゴリラに似ている(旧世界ザルとは反対)ので、これらのアウストラロピテクス種はチンパンジーに似た配偶体制だったようだ 単婚つまり一雌一雄関係の配偶体制だった可能性はかなり低い
以上をまとめると、アウストラロピテクスが単婚であったとは考えにくい
チンパンジーのように散財する小集団で食物をさがしたとすれば、乱交した可能性が一番高い
雌が広範囲に散らばっているなら、数頭の雌を同時に守ることはできないから
しかし、既に述べたように、実り豊かな湖のほとりや河川の氾濫原を大集団で食物を探したとすれば、マントヒヒやゲラダヒヒ、あるいはゴリラのようなハーレム型の多婚だった可能性がある コンゴ西部のバイに暮らすゴリラのように、一頭のオスが守る小規模のハーレムが、仲間の雄のハーレムと共同体を形成して一緒に食物を探していたのかもしれない
氾濫原で捕食者に対する抑止力を得るために、ハーレム同士が大きな集団を作って食物探しに励むには、それぞれの雄は互いにより寛大になる必要があったはずだ
もしそうであれば、これがアウストラロピテクスの雄の犬歯が大幅に縮小した理由かもしれない
長きにわたって繁栄をきわめたアウストラロピテクスだったが、約180万年前に大幅な気候変動が始まると絶滅した
気候が寒冷化した
大気水が極地氷床に集積し始め、アフリカの生息地が乾燥化した
約200万年前から、アフリカ大陸の大部分を占有していた華奢型のアウストラロピテクスは、頑丈型にとって代わられた
これらの頑丈型の種は大きな臼歯、頭蓋骨の上にあるゴリラのような大きな突起に支えられた丈夫な顎の筋肉、C4植物を多く取る食性に特徴づけられる 実際、彼らは気候変動に直面して調整したわけでが、それはダイアン・フォッシーが調査したヴィルンガ山地など環境が劣悪な生息地で、かなり年代が下がってゴリラが木の葉や木の実を食べるようになったときの状況と似ている 頑丈型のアウストラロピテクスは140万年前まで栄えたものの、彼らもまた環境が悪化して絶滅した
彼らの消滅はホミニン進化史でとりわけ繁栄を謳歌した時代の終焉を告げている
やがて、最後の頑丈型のアウストラロピテクスが姿を消すまでには、第二の移行期が50万年以上にわたって続いていた